自信をもてるかも

いつから自信のある行動をやめていたのだろう。少し前は、意識的に不安な態度を外に出していた。そうすれば人に受け入れられやすいと思ったからだ。高校3年での孤立をきっかけに、性格を改めようと考え続けていた。それでも、どこか人のせいにしたい気持ちもあった。

今考えれば、ただ自分と周りが合わなかっただけ。トラウマ扱いして触れないようにしていたが、多分今なら乗り越えられる。環境に馴染む努力と自分を大切にする覚悟を。

 

気の持ちよう

都合の悪いことがあったとき、似た嫌な出来事を思い出して、無理に落ち込もうとしている。そうすれば楽なんだろう。「ダメな自分」で現状維持していればいいし、誰かに励ましてもらえるかもしれないし。

 

ただ、負けたくないならば、熱意は忘れず落ち込む前に行動を。ベッドに入ってから落ち込もう。

意思をもっていく

気遣いによって言いたいことが言えない経験が繰り返させると、思考自体が挑戦を怖がるようになる。どこかで考えを外に出さないと、本当に考えられなくなる。

怖がっていてはいけない。自分らしさを捨ててはいけない。「考えがあることを忘れない」意思をもって過ごしたい。

 

怖がることと謙虚さを間違えていたのかもしれない。一歩引くなら素直さをもって。

疲れたときの気持ちメモ

初めての人を怖がりすぎている。オンラインでの会話を怖がっている。人当たりの良い部分だけ外に出せばいいのに、正直さにこだわりプラスもマイナスも見せようとしている。

優しい人だと思われよう。話が分かりやすい人を目指したい。

願望を言えないでいるとき

願望を人に言うことが苦手。自分はよくためらってしまうのだけれど、その理由の1つ目は否定される気がするから。2つ目は「言いたいだけ」だという欲求が満たされて、気持ちが収まってしまうことが怖いから。

多分、誰にでもよくあることな気がする。その後は言ったことを曲げない責任感とか、願望以外の熱意が事を運んでくれている。矢おもてが苦手だと言っている場合ではない。

次に移る

言語の意味を分類する面白さとか、いわゆる気持ちを病んだ人が何に追い込まれているのかとか。学部時代に興味をもったことが何の役に立っているのだろうと寂しくなった。数年前は学びきれないくらい広い学問の世界を見てうれしくなって、できる限り一から知っていきたいと思っていたが。今は明日の締切に向けて即効性の知識を身に付けることに少しは慣れてきている。学問の麓で標高だけにワクワクしていた時間はもう来ないのだろうと、戻りたいとまではいかないけれど懐かしい気持ちになった。

心の中だけに楽しさを求めるのではなくて、次は外から探っていく方がいい。人より遅れてだけれど、そういう時期に辿り着いたのだと思う。